旧ソ連のASAT計画の起源は明らかではない。複数の説がある。セルゲイ・コロリョフがOKB-1で1956年に始めたという説やウラジミール・チェロメイのOKB-52が1959年頃研究したという説がある。1960年4月にニキータ・フルシチョフがクリミアの夏の別荘での防衛産業との会合で始まったという説が有力である。チェロメイはロケットと宇宙船の開発に関わり、UR-200の開発を引き受ける。 1961年3月Istrebitel Sputnikov (IS)の生産を決断させる。ISシステムは準軌道周回型で目標に接近して自爆して破壊する。ミサイルは射場の上空を衛星が通過する時間に合わせて発射する。衛星を検知するとミサイルは軌道に投入される。90から200分(1周か2週)ミサイルは目標を搭載されたレーダーで誘導される。迎撃ミサイルの重量は1400kgで目標から1kmまで効果があるとされた。UR-200ミサイルの計画は遅れた。後にキャンセルされた。
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旧ソ連では1968年には最初の衛星破壊実験が行われ、1971年には対衛星兵器を実戦配備していたといわれる。その後、R-36 (SS-9 Scarp) から発展したSL-11と呼ばれる衛星打ち上げロケットが、チュラタム(現カザフスタン)に配備され、1990年まで運用されていたらしい。またMiG-31を母機とした空中発射式の対衛星ミサイルの開発も行われていたが、こちらは実験を行う前に開発は中断された。
この他にも旧ソ連の核開発施設のあるセミパラチンスクでは核爆発で発生したエネルギーを利用した粒子ビーム設備や大規模レーザー兵器を保有しているのが知られている[2]。その他にサミー・シャガンではヨウ素パルスレーザー装置があり、電子ビームを使用した炭酸ガスダイナミック型レーザーもモスクワ近郊の施設で実験されていた。すでに1960年代の時点でソ連はタングステンまたはモリブデンなどの高密度金属電磁流を空気中では25km/s、真空中で60km/sの速度で発射できる電気銃の試作にも成功している。これらの中でレーザー装置に関してはテストを兼ねて何度かアメリカの偵察衛星に対して使用され、一時的にカメラを盲目にすると言った成果も上げている。なおこれらの高エネルギー兵器はソ連崩壊後はそのほとんどが開発休止状態となっている。
1970年代から地上配備型の対衛星攻撃レーザーの実験を行っていた。70年代から80年代にかけてアメリカの偵察衛星が一時的に機能を失ったと報告されている。1976年からFon計画と呼ばれる直接高エネルギーレーザーで損害を与えるレーザーの研究を行っていたが高出力レーザーの開発は難航した。旧ソ連ではアルマース計画で軍用の宇宙ステーションに衛星攻撃能力を与える事も研究していた。